【レヴィーア・スポーツ】
元ドルトムント香川!クロップとの忘れられない思い出について語る!
香川真司は30歳となり、そのキャリアですでに多くの事を経験している。フィールド内外で。彼は2019年にドルトムントでの2度目の時期を終える事となったが、現在ではスペイン2部のレアル・サラゴサでプレーしている。
ドルトムントは2010年に香川真司を35万ユーロで獲得したが、当時21歳だった香川はドルトムントの完全に中心的な選手として活躍する。そしてそのシーズンの優勝と、さらに2011/2012シーズンのダブルに大きく貢献している。
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そのシーズン、香川はリーガ31試合で13ゴール12アシストを記録し、多くのトップクラブの注目を集めるようになった。その中の一つがマンチェスター・ユナイテッドだ。
香川はアスレチック紙に対して、“当時の僕の見方では、マンチェスター・ユナイテッドはリヴァプール、アーセナル、ドルトムントよりも大きいというものでした。ドルトムントではとても幸せでしたが、どうしてもマンチェスター・ユナイテッドでプレーしたかったんです。”と香川は語る。移籍の決め手となったのは、ユナイテッドの監督、サー・アレックス・ファーガソンとの話し合いだ。“彼とは空港で会ったんですが、僕が欲しいと言ってくれたんです。彼は僕と共に優勝したいと語りました。”と香川は語る。
そしてその計画は成功する。マンチェスター・ユナイテッドは2012/13シーズンに優勝を果たしたのだ。香川は負傷のために38試合中20試合でしかプレーしなかったが、それでも6ゴール4アシストを記録した。香川BVBバス襲撃事件について語る。
いずれにせよイングランドで過ごした最初のシーズンは香川にとって最も成功したシーズンとなった。彼をマンチェスター・ユナイテッドに連れてきた監督が引退することになったのだ。ユナイテッドはその穴を埋めるのに苦労したが、その後モイーズ、ギグス、そしてファン・ハールと3人も監督が代わる事となった。香川はその3人の下で厳しい状況に立たされることとなったが、最後のファン・ハールが原因で2014年に移籍する事となった。
香川はそうしてドルトムントに戻って来たが、2011~2012年のレベルに戻る事はなかった。“良かった時もありますし悪かった時もありますね。”と彼は語る。“とても良かった時もあればとても悪かった時もあります。でもマンチェスターでの悪かった時期に学びました。”と彼は語る。
いずれにせよ最も悪かった時というのはフィールド外での出来事だ。2017年の4月にドルトムントのバス爆破事件が起こったのだ。香川は当時を思い出して語る。“大きな音がしました。本当に怖かったですね。マーク・バルトラが大けがをしたのを見ました。最初はISISかもしれないと思いましたが、それは個人の犯行でした。選手たちはその後、一緒になって、ポカールで勝とうと誓ったんです。それは忘れませんよ。”
ドルトムント時代の終わり香川は2017年にポカールで優勝する。しかし彼の時代は徐々に終わりに近づいていく。香川は2017/2018シーズンにはリーガで19試合にしか出場しなかったのだ。
香川は2018年の9月に行われたロマン・ヴァイデンフェラーのお別れ試合でユルゲン・クロップと再会する。“彼は僕のプレー時間が十分ではないと言いました。僕はオーケーだと言ったんですけどね。彼は僕を良く知っているから、もしかしたら僕がオーケーではないと分かっていたのかもしれませんね。彼は僕のスタイルはスペインに合っていると言いました。そして僕はそこではずっとプレーしてみたかったと返事したんです。”と香川は語る。香川は2018/2019年の後半戦、ベシクタシュにローン移籍したが、その後本当にスペインに移籍することになる。いずれにせよ2部リーガに。一部リーガ移籍はEU圏外の選手の規則により実現しなかったのだ。
“僕の最初の考えは、本当に2部でプレーしたいのか?というものでした。まだ30歳にもなっていませんでしたしね。でも他の国の1部に移籍するのはどうか考えたんです。できるだけ高いレベルで常にプレーしたかったんです。多くの選手達と話をしましたが、その中にはスペインでプレーしている選手たちもいました。彼らはスペイン2部のレベルはたいていの国の1部よりも上だと言っていたんです。”
そして行き先はスペインに決まった:“サラゴサは2部の中でもトップです。彼らは大きなスタジアムを持っていますしね。彼らは一部に戻りたいという野心を持っていました。”
クロップから香川への言葉
サラゴサは現在2部で2位に位置している。香川は30試合中22試合に出場し2ゴール2アシストを記録している。
しかしこれからもっと良くなるかも入れない。クロップの下で過ごした2011/2012シーズンのように。2019年のヴァイデンフェラーのお別れ試合で、現在のリヴァプールの監督は香川にある事を思い出させる。
“彼はドルトムントが優勝したのは僕がプレーしたからだと言ってくれたんです。もちろん他にも選手は沢山いました。だけどそれで本当に自信が湧いてきました。彼は全く心配する必要がないと言ってくれましたよ。だから心配しませんでした。彼の言葉は僕を幸せにしてくれましたし、その時のことは決して忘れません。”以上です。
このインタビューの記事が結構いろいろなドイツ紙で取り上げられていましたので、地元紙のも取り上げてみました。割と良い取り上げられ方だと思ったので紹介しました。
本筋に近いものを必ずこちらのサイトが取り上げてくれるだろうと待っていました、ありがとうございます。