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「日本サッカーの父」クラマー氏死去。ベッケンバウアーが思い出を語る。《ドイツの反応》

先日、「日本サッカーの父」として知られる、デットマー・クラマー氏が亡くなりました。もう現役を退いてから大分時が経ちますので、ドイツでも若い世代には彼を知らない人も増えてきましたが、それでもドイツではトレーナーレジェンドの死がほとんどの主要メディアで大きく取り上げられました。

今回は皇帝フランツ・ベッケンバウアーがビルトにクラマー氏に対する思い出を記したコラムを掲載しましたので紹介します。またクラマー氏の死去を報じた記事も合わせて訳しました。





【ビルトに寄せられたベッケンバウアーのコラム】

フランツ・ベッケンバウアーが彼の元監督との思い出を語る。


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フランツとクラマー 1976年



ドイツサッカー界はデットマー・クラマーという天才を失うことになった。今日ではそれ程多くの人が彼の事を知っているわけではなくなってしまったとしても。


ボールのポゼッションにおける攻守の切り替えの速さ。これは現代の監督の発明ではない。デットマー・クラマーはその事をすでに40年以上も前に僕達に教え込んだんだ。

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それからダブルボランチ(ダブル6番)が攻撃として参加できるというアイデアも、デットマー・クラマーの戦術頭脳から出てきたものだった。彼自身は特に偉大な選手ではなかった。でももしかしたらその事が彼のサッカーを改良することへと駆り立てたのかもしれない。


僕は彼がドイツジュニア代表の監督だった時に知り合った。ドイツサッカー協会は理事会で僕が代表選手としてモラル的に“疑わしい”、と議論をしていたんだ。僕はその当時若くしてすでに息子が一人いたんだ。


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デットマー・クラマー戦術の天才。彼は選手としては有能ではなかったが、時代を超越していた。


ゼップ・ヘアベルガーの介入もあって、ドイツサッカー協会は僕の代表入を許してくれた。僕がドイツ代表でプレーすることを許してくれたんだ。僕が講習過程で監督のクラマーと同室になる、という条件付きでね。そのようにして、彼は僕が夜も道を踏み外さないように注意したんだ。


1966年のワールド・カップイングランド大会では彼は代表監督ヘルムート・シェーンのアシスタントだった。そこで僕たちは準優勝したんだけど、その大部分は彼のお陰だったよ。なぜなら彼が正しい戦術を根気よく僕達に教えこんでくれたから。


その後、デトマーはFCバイエルンで僕達の監督になった。そしておそらく彼は、チームの会議(注:おそらく作戦会議)に最も長い時間をかけた監督という点で、クラブの歴史に残るだろうね。彼は自分の知識をみんなと共有したかったんだ・・。


この前の冬僕はデトマーを訪ねたんだ。手術の後で彼の健康状態はより悪くなっていた。もしかしたら彼にとってはこの死は救いだったかもしれないね。






【クラマー氏の死を報じたビルトの記事】

ドイツのサッカー界がトレーナー・レジェンドの喪に服す。

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ドイツサッカー協会(DFB)は金曜日に、デットマー・クラマー(90)が木曜日にライト・イム・ヴィンクル(地名)で死去したと、報じた。DFBの会長ヴォルフガング・ニースバッハは“我々は偉大な監督、そして偉大な人物を失った。”と語った。


クラマーはドイツだけで偉大な監督だったわけではない。彼は世界中で積極的に働き、サッカー大使とされている。


ニースバッハ:デットマー・クラマーはドイツサッカーの大使として世界中に知られている。彼の専門知識は世界中で大きく評価され、それと同時に彼は愛と生きる歓びに溢れ、思いやりのある人物だった。私は彼の人生の対して大きな尊敬を抱いている。


クラマーはトイトニア・リップシュタットやその他ヴェストファーレン地方のクラブチームで監督を始めた。1948年にはヴェストファーレン地方のサッカー協会に所属し、1963年6月までデューイスブルクで勤めた。


彼は日本で短い間働いた後で1964年にドイツとドイツサッカー協会に戻ってきた。1996年のイングランドでのワールド・カップではウード・ラッテックと共にヘルムート・シェーン監督のアシスタントを勤めた。


彼はFCバイエルンで2度ヨーロッパカップで優勝し、さらに世界大会でも優勝するなど、成功を収めた。


バイエルンのボス、ルンメニゲは“多くの人びとにとってデットマー・クラマーはスポーツ面だけで関わりがあっただけではない。僕にとっては父親のような友人だった。彼は僕が若い頃のプロキャリアにおける最も偉大な後援者だったよ。僕が選手として成功を収めたことの大部分は彼のお陰だ。FCバイエルンはこの偉大な監督、そして偉大な人物の死を悲しんでいる。”と語った。


デットマー・クラマーはドイツではその他アイントラハト・フランクフルト、レヴァークーゼン、ヘルタなどで活躍した。

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以上です。


日本サッカーの父として知られるクラマー氏ですが、ベッケンバウアーやルンメニゲのコメントを読むと、まさに彼らの育ての親という感じが伝わってきますね。

おそらくベッケンバウアーは夜遊び癖が疑われていたために、代表入りで議論されたということだと思いますが、代表入りの条件がクラマー氏と同部屋だったと言うのは、貴重なエピソードでした。クラマー氏のご冥福をお祈りいたします。




[ 2015/09/20 18:00 ] サッカー ニュース | TB(-) | CM(5)
釜本が何かっつーとクラマーさんがクラマーさんが言うから
若い人でも割と知ってるんじゃないかと思う。

クラマーいわく「釜本には何も教えてない。ただ欲を植えつけただけだ。」
[ 2015/09/20 20:40 ] [ 編集 ]
クラマーさんがいなかったら今の日本のサッカーは断然遅れてたと聞きます。
本当に感謝しています。
御冥福を心よりお祈りいたします。
[ 2015/09/20 23:52 ] [ 編集 ]
レバークーゼンのクラマーのじいちゃんって聞いて信じてたら
とんでもないガセだったようだね
[ 2015/09/20 23:54 ] [ 編集 ]
翻訳ありがとうございます。
ベッケンバウアーってヤンチャだったのねw

クラマーさん、あなたがいなければいまの欧州での日本人選手の活躍もなかったでしょう。
ありがとうございました。心よりご冥福をお祈りします。
[ 2015/09/21 07:50 ] [ 編集 ]
そんな凄い人だったのか
[ 2015/09/21 10:32 ] [ 編集 ]
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